神峯山寺1


みなさま

こんにちは。残暑お見舞い申し上げます。
ようやく朝晩涼しい風が、吹き始めました。

お盆も明け、待ちに待った恵みの雨は激しい雷雨となり、
市内では停電や雨漏りなど、暮らしに大きな影響をあたえ、
先日未明のドーンと突き上げる地震の震源が直下で、はっと目が覚めました。

天からも、地からも、うごめく何か大きなものを感じて、
自然の力にただただ畏敬の念を感じる今日この頃です。

今年も高槻の山中で、坐・神峯山寺 ~ 座禅と円坐の1日を、開催いたします。

円坐守人の橋本久仁彦さんから坐・神峯山寺に以下の言葉をお寄せいただき、
続いて円坐世話人のふたりも、各々自分の言葉で案内文を掲載しております。

よかったら秋の座禅と円坐の1日ご一緒しませんか。
ご一緒できますご縁を、心より、お待ち申し上げます。

松岡弘子



///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////



「神峯山寺円坐は、深山の空気の中で、座禅から円坐へと続く坐三昧の一日です。
ご案内文としては、円坐世話人の松岡弘子、橋本仁美の文章が秀逸だと思います。

どこかから引用してきた言葉ではなく、自身の円坐経験から紡ぎだした力のある
言葉で円坐結界の中に起こる現象を記述しています。

いずれも、円坐内の気圧が上昇していくプロセスに身を浸した者が語りうる視界ですが、

「景色と心象が螺旋を描いてやがて風景となります。」

という言葉は謎めいていますね。

景色は我々の外側、心象は内側です。
我々の眼差しは外側の物質世界と内側の意識世界を瞬間に往来します。

それは、外側が内側で、内側が外側と言ってもいいくらいの光速往来です。
このスピードは時間を超えていると思います。

繰り返す往来は螺旋となり磁場を生みます。

その磁力の中で景色と心象は融け合い風景となる。

風とは息のことですね。風景とは息づいた景色のこと。

すなわち生きている景色のこと。

これが我々日本人の姿であると思います。


秋の神峯山寺にてお目にかかりましょう。」


                      橋本久仁彦

神峯山寺3


 

=========================================



なにか大事なことに取り掛かろうと思った途端、すぐに少し先の
新しい情報を探してきて、その準備をしようとする自分がいる。

たとえば、この後どんな予定だろうか、とか、
週末この用事があるからその準備をしなきゃ、とか。

いま、目の前にあるところから、私は逃れようとする。
今度こそ大事なことに携わっているぞ!と思えるときでさえ、実はそう
でなかったりする。そのきっかけは?とか、いつから?などという自分
への問いかけが、たくみに、目の前の現実から目を逸らさせる。いかにも
しっかり考えているようなふりをして、私は現実から目を逸らしている。

なんでそんなに目をそらすんだろう。そこには何があるのかな。
ときどき円坐にすわって、頭のなかをとめどなく流れる言葉を追いかける。
沢登りをしているときのように、流れに足が持っていかれそうになる。


息をすう。はく。
毎日当たり前にやっていること。やっている事すらあまり気づかない。
意識して見るのがとてもむずかしい。むずかしいというか、見ることは
できるのだけど、少しでも長くそこに居続けるのがむずかしい。
なんとかとどまりながら、呼吸を見つめる幅が少しずつ広がっていくと、
息に乗って、最後には天までのぼり、地球の奥深くまでおりていく。


息と言葉、それぞれを見つめる営みはどちらも同じ事かもしれない。
見つめ始めると重力がかかった様になり、だんだん時間がゆっくりしてくる。
重力のなかにすわり続けると、もやっと漂っていた、あちこちに散っていた
自分がきゅっと凝縮される。
そして、思考の流れの中に、前よりも少し流されず立っていられるようになる。



滝が石をうつ。夏を惜しむ蝉が鳴く。秋。
神峯山の自然の中に建つお寺での、
座禅と円坐の一日。ご一緒しませんか。



橋本仁美

神峯山寺2



=========================================



静かに灯篭流しの船も見送り、お盆も明けました。
年に一度の「坐・神峯山寺」今年は秋の開催です。


傾聴空間は、相聞円坐へと位相の深度を深める時、
おのずと景色の向こう側から静寂がおとずれます。

すると無より言葉になる以前のモノが現れ始めます。

その「モノ」によって言葉が押し出されてきて、
そのような言葉だからこそ行き先は不明ですが、
さまざまな景色となって位相を変えてゆきます。


 景色と心象が螺旋を描いてやがて風景となります。


空蝉の如く、心一つとなって、
今年は周りの空間に身をあずけてみたいとおもいます。


渡り廊下での座禅と、宿坊広間にての相聞円坐です。
よかったら「坐・神峯山寺」ご一緒しませんか。
心よりご縁をお待ちしています。


松岡弘子

写真




=========================================



≪ 坐・神峯山寺 ~ 座禅と円坐の1日 ≫


 ◇ 日時 2013年10月30日(水曜日)9時45分~16時

    午前:座禅 神峯山寺御住職 近藤真道氏
    午後:円坐 円坐守人 橋本久仁彦さん 【 シアター・坐・フェンス http://enzabutai.com/

 ◇ 会費 7千円

 ◇ 昼食 お昼をはさみますので各自ご用意ください

 ◇ 場所 根本山 神峯山寺 本坊 (大阪府高槻市市原3301-1) http://www.kabusan.or.jp/

 ◇ アクセス JR高槻駅北口ロータリーより市バス「原大橋」行き約20分乗車。「神峯山口」停留場を下車、東へ徒歩約1.3kmです。

 ◇ 申し込み za.kabusanji@gmail.com

 ◇ 共催 橋本仁美 【 fence works http://www.fenceworks.jp/
      松岡弘子 【 ふりーすぺーす http://basic-encountergroup.dreamlog.jp/



  円坐守人:橋本久仁彦さんについて。

 あまり先のことを考えないのが魅力。「これがいいからやる」、または「よくないからやらない」ということがない。事が起こってから考える。起こるまでは大丈夫。それが危なっかしく見えてどきどきするけど、どこかはほっとしている。生きるってそういうことだよね、と思ってしまう。(仁美)
 言葉が照らし出す人の生々しい息づかいの営みや、内なる豊かな世界と外界との関係性を、瞬時に真っ直ぐ視透かす、透徹なまなざしをもつ一方、繊細で深いほのみゆ弱さを慈しむ温かさを、そのまなざしに秘めています。そのまなざしは、年々存在感を増し、一段と強い光を宿し始めています。(くぅ)



=========================================



最後まで読んでいただきましてありがとうございました。  松岡弘子