みなさま


6月17日金曜日の夜、
逢坂・鶴橋円坐をひらきます。


円坐守人は、
橋本久仁彦さん・橋本仁美さんです。




雰囲気や面影といった気配を
古くは『けわい』といい、
漢字で「気配」や「化粧」とも書いて、
両極の意味をもつように思われますが、
「姿」の裏がえる様をもってして、
全体的に『けわい』といったような気がします。



かぞえで七歳、
七五三のときに、
おばあちゃんの縫った晴れ着を着て 、
初めて化粧をしてもらいました。


紅をさしただけで、
すっかり気分が変わって、
いつもとまったく違う雰囲気で二歳下の弟と、
歩いた神社の参道の景色をいまも思い出します。


自分の姿はまったく記憶になく、
ただ、自分の周りの風景だけが、
いろいろと思い出されてきます。



中身はいつもの「ひろこさん」だったのか・・
そもそも自分って、中身なのか・・
それすら分からないのですが、
人の姿とは、
おそらく風景の裏返りみたいな気配のことをいっていて、
自分には自分の姿が見えないのに、
誰かの姿を観てまるで自分を見ているようだと言ったりするのは、
きっと、
誰かの姿の周りの風景や雰囲気など気配を感じて、
それを自分の実体であるかの如く観ているのでは、
ないでしょうか。



影舞は、
気配の領域を越え、
姿へと実体化する際に、
まるで影が息をする生き物であるかのように、
観ている者が自由自在に実体化させることで、
誰かの雰囲気や面影がたちあらわれてくるのですが、
もし仮に、あらかじめ誰々という人という風に、
あたかも誰かのように配役し限定してしまうと、
作為的に編集し幻の虚像ですりかえることになるのでないかと、思います。


未解の冤罪事件の容疑者の人たちにおいても構造は同じだと思います。



風景との境が輪郭であって、
風景から姿が凹んだ空白が裏返って、
浮世絵のように幾重にも姿があらはれる円坐では、
個人の中だけで自分や人生を理解することはできない。


むしろ外からの音や、漂う匂い、ふれる触感、
息づかいなど・・

全体としての風景が、
我々の姿であるとするならば・・


逆説的に、なぜ社会にはルールや限定が必要なのかもみえてきます。


同じ円坐は二度とないのとおなじ様に、
円坐の風景をもういちど再現できるというものでもないのでしょう


それでは、今月も鶴橋にて、
心より、お待ち申し上げております。


松岡弘子



◆ 日時 : 2016年6月17日(金)18:30〜21:30
◆ 場所 : 大阪環状線 鶴橋駅前商店会 31高架下 ※1
◇ 参加費 : 3,000円
◇ 円坐守人 : 橋本久仁彦・(http://enzabutai.com/)
       橋本仁美(http://www.fenceworks.jp


◇ 申込み・お問合せ先 : 松岡弘子 soumon.enza@gmail.com
◇ ウェブサイト : http://enza.livedoor.biz/



※1 JR大阪環状線 鶴橋駅中央出口より、高架下交差点を渡り、日本で一番短い廻る寿司「うをさ」と、
回転すし「鮨幸」の間の鶴橋駅前商店会を、北に向かって歩いて5分。場所は大阪環状線高架下の鶴橋
駅前振興町会舟橋文化会館、高架番号31です。円坐の会場は文化会館2階です。

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