みなさま

おはようございます。

日ごとに秋が深まる今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか。

未二観の出稽古に登った、
生駒の山上には、
月に照らされる、
この世の浄土がありました。


浄土とは、
懐かしい人たちの面影の園でした。


わたしのなかには、
懐かしい人たちの面影がいまでも残っています。

『人の中に残る』ということは、
一体どういうことなのでしょうか・・

その懐かしい時空間が、
また別の時空において重なり合い、
自分という世界が人の中へと収束していくことであり、
これは生まれ変わりというより、
移り(映り)住むという、
よみがえりであるとおもわれます。

懐かしい思い出や面影がなく、
他を出し抜き自分だけが多くを得て、
自分の思考や感覚だけを頼りに、
上向きの人生だけを送ることは、
果たして出来るのでしょうか・・

影舞ふ相方の真正面で、
指の先でふれ、
相方の君の振動とともに、
人生の急流をすべり落ちるように、
奥のまたその奥へと入っていくと、
互いの時空が相重なり、
必然的におかえりがただいまとなって、
時空間を超え、
ただちに今君に還っていくことが、
こんなに極上の幸せなことだとは、
この歳まで全く知りませんでした。

わたしの残りの余生は、
後者の道行きとなるのは、
必然であります。

なぜなら、もう、すでに、
そうなっているからです。

この日の夜のかえりみち、
茨木の千提寺の山奥を走りながら、
愛車オデッセイのフロントガラス越しに、
夜空を見事に右肩下がりに落下する、
巨大で真っ赤な火玉を目撃しました。


火玉は燃えつき、
空に消えた瞬間、 
ハンドルを握り運転していたのに、
時間のない静けさの中にいました。


このたび、
11月11日名古屋にて下記の会に参ります。

彼此もう10年以上のつきあいの友、
名古屋のタカダサオイさんが主催されるとお聞きし、
お祝いに駆けつける所存で大阪から名古屋へ参ります。

この会の裏方は、名古屋のたえさん。
たえさんとは、
今夏広島の山下徹さんと橋本久仁彦さんの<2018年夏 被爆地 広島にいきる>でご一緒させていただき、
広島にて熱い夏を共に生きました。

サオイさんもたえさんもわたしも、
三人ともほぼ同年齢です。

『かえるところ〜還の手習い』とは、
まさに、ぴったりな命名です。

初心にかえり精いっぱい、
守人をつとめさせていただく所存ですので、
どうぞよろしくお願いいたします。

もしよかったら、
円坐・影舞【かえるところ〜還の手習い】のご案内、
是非ご一読ください。


松岡弘子

・・・

円坐・影舞【かえるところ〜還の手習い】

会名の成りたち‥

名古屋で円坐や影舞のできる場を作りたい、
そんな思いを胸に秘めながらもどうしようかと悶々とした日々を送っていた時に、ある女性とのご縁につながって
「サオイが作るなら裏方しますよ」とのありがたいお言葉をいただきました。
それからは彼女のサポートをいただきながら
この話をじっくりと進めてまいりました。
美味しい料理とお酒を酌み交わしながら、
二人でまず最初に考えたのが会の名前。
いろんな話がなされる中
「うちらアラ還だもんねぇ‥」という言葉から
「還ってなんかいいですね!」となりました。
還暦の還、帰還の還、往還、アラ還‥
うん。なんかいい。
還るという意味もあるこの文字は
わたしも元々好きでした。
還る、かえる‥
人生をぐるっと旅して還るところ‥
旅の過程は変えるかもしれないし
換えるや代える、ひっくり返るかもしれなくて
わたしたちの開く円坐・影舞の場が
どの『かえるところ』であるにしろ
その大切なひとコマひとコマを円の中に置き
その空間を味わないがら過ごすことのできる場になれたら。
そんな思いでこの会名が成り立ちました。

守人‥

円の中の見守り役のような存在、それが守人です。
守人は参加者の一人であるのと同時に、円の中で語られる言葉やその場で起こっていることに丁寧に関わり続けてくれます。
この度の円坐には、くぅ(松岡 弘子さん)が守人を受け持ってくださる運びとなりました。
くぅとはどのような人?とひとことで云うならば
この世界(円坐や影舞)の達人、言葉を辿る、観ることのできる達人‥と、わたくしは観ています。
そしてくぅは、娘の小学校時代からのご縁でつながった10年以上ものおつき合いのある大切な友人でもあります。
彼女は娘の小中学時代から、幾たびかエンカウンターグループや円坐などのワークショップを開いてくれていました。
しかし当時のわたしは自身が人生に対して捻くれていた時代でもありましたので、彼女の開いてくれるその円坐というものがよく理解ができませんでした。
ただその場に坐した誰がどのような表情で、どのような口調でどのような話をしたかは今でもくっきりと覚えています。
不思議なことに自分が何を話したかはよく覚えていなくて、他の誰かが話したことはよく覚えている‥これも円坐の味わいのひとつかなとも今は思います。
暫く連絡の行き来が無かったのですが、
一昨年前ふいに鶴橋の円坐へのお誘いがあって
久しぶりにくぅと再会したのです。
鶴橋の円坐は、10年前とは違う味わいがありました。
そしてくにちゃん(橋本 久仁彦氏)との出会いがありました。
くにちゃんはまさにこの円坐の創始者であり、今はわたくしの人生の師でもあります。
くにちゃんと、くにちゃんの世界を知り、どんどん魅入って行くその始まりが鶴橋の円坐でした。
そのご縁をつなげてくれたのがくぅ。
今回わたくしが守人のお願いをしたときに
「誰も来なくてもサオイさんに会いに行きます。」と快く引き受けてくれました。
くぅとは、そのような方で
そのようなくぅが守人となってくださいます。

そして円坐とは‥

これを言葉にするのがとても難しいのですが
まだ手習い中のわたしの精いっぱいでお伝えします。
円坐とは‥
その限られた時間の中で
その時ご縁となった人たちが円を描くように坐し
置きたい言葉を置き
その坐した人々で味わう場。

どんな言葉を置いてもいいし置かなくてもよく
ただそこに坐して味わうだけでもかまいません。
どのような態度を示しても
置かれた言葉が鏡となり影となり
その円の空間に自身も溶けこんで行きます。
共感するとか励まし合うとか
なにかの答えを出すといった類とは違います。
置かれた言葉が濃くなるほどに真実があらわれはじめ
うわべだけの言葉には違和感が残ります。
真実の前で跳ね返される時もあるし
対立が起こるときもあります。
まだ円坐の経験の浅いわたくしですが
浅いなりにも参加するとぺらっぺらの薄っぺらな自分が観えて来ます。
それを知るのもけっこう凹みます。
真実のままでいる人が
限りなく透明なガラス工芸品のようで
その輝きがたまらなく眩しく映るのです。
ぺらぺらのままで生きてももちろん良いのです。
その方がきっと楽です。
しかし、一度そのガラス工芸品の美しさを見てしまうと
そのようになりたいという気持ちをもう、抑えることができない。
削られるのが痛くても、研かれるのがツラくても
その道を行きたいのです。
この会のご案内を出すのに随分と時間がかかりました。
煮詰まって煮詰まって煮詰まってきた頃に
師であるくにちゃんに相談する機会がありました。
くにちゃんは云いました。
「なぜそれをするのだ!本物を見たいからじゃないのか」
ハッと目覚めた瞬間でした。
『そうだった。本物が見たいからわたしはするのだ』
覚醒。そして自分が定まりました。

師は円坐を『舞台』とも称します。
舞台の役者はその円に坐した人たちです。
いい舞台になるのもそうでない舞台になるのも
円に坐した人たちにかかっています。
それも限られた時間の中での
ぶっつけ本番一回こっきりの舞台です。
置かれた言葉の途中で時間が来たら終わりです。
なんとも中途半端な形で終わっても
その舞台の責任は役者全員で負います。
手習いではありますが、だからといってここは勘弁ねといった生優しさはありません。
手習いなりの真剣さでその舞台に臨みます。

影舞‥

自分の中指と相手の中指で、そっと蝶々を挟むかのように触れながら過ごす‥説明だけだとこのようになります。
これはもはや感じていただくしかない感覚の世界です。
わたくしをサポートしてくださっている女性に
「あなたにとっての影舞とは?」と聴きました。
彼女はこう語ります。
「一個だけ思ってんのは‥影舞って‥なんやろ‥影舞って‥全部がみえるしなにもみえない、なにもみえないけど全部がみえる、みたいな。それだからこう、すごくむずかしいんだって。なんか、わかろうとするとなにもわからない。でも。なんとなくの中に自分が‥すっごく大きな世界がみえてくるというか‥その世界の中に自分が入りこんでくっていう感じ。だからその、みえなさかげんもみえかげんも含めて、わたしはほんとにそれが面白くてハマっているんだよね。‥‥‥わかんないことをわかんないわかんないっていう自分を面白がっている。そんなんどうせわからへん。答えなんかない!って一所懸命考えたりとかもがいている自分をとても面白がっていて、なにもみえないっていうのがすごく自分にとっては面白い。」
影舞こそまだまだ経験の浅いわたくしには
この女性の言葉がなんとも深く美しく響きました。
申し上げたように経験が浅すぎて、まだまだわからないことだらけなのですが、
影舞で指に触れているとき、今のわたしにはその触れている相手が鏡のように感じる時があります。近づこうと思うと離れるし、離れようとすると近くなるといった感覚になるときもあります。
ほんの5分くらいの時間ではありますが
その短い時間にも一期一会の尊さを感じたりもします。

なにを感じるかは千差万別でもありますので
円坐も影舞も
とにかくやってみないことにはわからないとしかお伝えできません。
感じていただいたそのものが影舞であり円坐です。
正解のない世界なのでなにか答えを得ようとか、
気づきや成長を求めると苦しむかもしれません。
ただその空間を共にした方とは深いところでのつながりを感じます。
そのつながりは確固たるもので安心や深い喜びを感じたりもします。

堅いことを言うようですが
手習いだけども手習いなりの真剣さで
わたしは限りなく真実の自分でありたい
そして集まる人たちとは
過ごして来た時間や、遠い近いなどの距離を越えた
真実の確固たるつながりを持てるようになることを目指しています。

集まるべく人たちが集まることと思っております。

[日時]
平成30年11月11日(日) 10:00〜16:30

[開催場所]
東生涯学習センター 第一和室 定員10名
〒461-0004
愛知県名古屋市東区葵一丁目3-21

[参加費]8000円

🍶終了後、お酒と食事を楽しむ会も予定しております。予算は4000円ほどで参加ご希望者はお知らせください。