皆様へ。





先週の23日に、名古屋の浄土真宗のお寺、長善寺にて、

澤有理さんが主催してくださった場の守人をさせていただきました





以前お目にかかった時は、気鋭の若住職であった長善寺の蒲池卓巳さんは、

継承の儀を経て、長善寺のご住職となっておられました。

ご結婚され、お子さんにも恵まれて、僕もうれしくお話しさせていただいたのですが、

ご住職と語り合う言葉のひとつひとつが、僕には懐かしい響き、一味の味わいを覚える

温かい響き合いとなりました。





このたびの長善寺に集った方々の中には、プレイバックシアター時代からの長い友人や、

縁坐舞台になってからの新しい友がおられました。その中に僧侶の方もお二人。

そのお一人の方のお寺、大阪の観自在寺へは、縁坐舞台の出稽古に参じたことがあります。

坊守を務めておられる御母堂との影舞を舞わせていただいた折には、その指と手を見つめ辿るご縁をいただいて、

もったいなさの涙となりました。

また再び影舞参拝させていただけるご縁を楽しみに生きております





もうお一人の方のお寺、西念寺へは、来年新春に、守人としてお参りさせていただく運びとなっています。





つい数日前には、神奈川の天台宗のお寺、等覚院のご住職が拙宅を訪ねてくださり、現在のご心境を聞かせてくださいました。

僕も還暦を迎えての今後の道行きについて聞いていただきました。





また一昨日は、福井県の長慶寺のご住職から、来年は、長慶寺千三百年の記念として、

場を持ちたいので来福を賜わりたいとのお申し出をいただきました





それぞれのご住職には、宿世のご縁を感じておりますので、彼らからの呼びかけには必ず応え参じたいと思っています。





明日からはタイのバンコクでの影舞円坐に参りますが、こちらでは仏跡での影舞が予定されています。





来年1月には高野山大学での影舞未二観の仕事が控えています。

この仕事を思う時には、病の身体に鞭打ちながら仕事に立ち向かう一人の壮年の真言宗僧侶の面影が浮かびます。

彼との縁坐、彼との影舞として、僕はこの仕事にも全身全霊を傾けて報恩報謝の辿りを行いたいと思います。





こうして、自分の仕事のご縁を辿りますと、縁坐舞台、円坐、未二観という僕のすべての仕事は、

大乗仏教の、中でも他力宗の流れに浸りつつ運ばれていることが分かります。





母が浄土へ還り、僕は環暦を迎え、仕事も還り道に入りました。

「円坐守人研鑽」の言葉はその役目を終え、昨年記しました『影舞円坐和讃』に

「円坐守人その底は 守られ人と見つけたり」とありますように、

 報恩報謝の辿り、語り手の言葉へ還って逝く辿りとして、方向を反転しています。





それに伴い、僕の生涯の探求研鑽の場であった口承即興劇団「坐・フェンス」も、先月10月25日をもって解散いたしました。

今まで長年に渡り、たくさんの方々に坐・フェンスの舞台を見ていただきました。誠にありがとうございました。

また、延べにして数十名に及ぶフェンスメンバーが、坐・フェンスの稽古で互いに研鑽し合いました。

楽しい季節を若い仲間たちと一緒に歩めたこと、心底幸福でありました。感謝いたします。





今はまた、生まれて来た時と同じようにただ一人、この道行きを歩み、

ご縁を頂いた老若男女の方々の御こころが、映り込んで輝くこの世界の風景の見納めに、

旅の芸人「縁(円)坐影舞守られ人」として生きて参りたいと思います。





表記「盆暮円坐2018東京」を主催された「のりちゃん」と「くぅ」は、元フェンスメンバーです。

戸高元太郎氏は我々の公演を折に触れて撮ってくださった写真家です。





僕の「反転」後も、人生の道行きをともにする一味(同じ味わいを生きる)の仲間たちですが、

そのうちの一人、くぅがある時こう申しました。





「御仏壇の花は、なぜ仏様の方ではなく、こちらを向いているのでしょう。御仏壇に手を合わせて、

目を開けたら、向こうから、彼岸から、花がこちらを向いて咲いていることになるためですね」。





我らの道行きにおいては、花は自分の上に咲くに非ず、向こうに、彼岸に、そして他者の上に咲くのです。





君は舞台の 年の暮れ 

 原流の安心と 申す也





と、案内文の末尾にあります。





我々にとりましては、この2018年の暮れの円坐は、

坐・フェンスや住む家や人間関係など、多くの局面においての「君は舞台の年の暮れ」の円坐となります。





けれども、暮れていくのにもかかわらず 「原流の安心と申す也」 とはいったい何事でありましょうか。





それは「円坐守人衆」として「守られ道」を往く我らが、一味として味わう境地境涯でありますが、

明日お目にかかりますバンコクの「まろうど影舞円坐」主催の中山久子さんがご指摘くださったように、

影舞が能に近似の精神空間を持ち、円坐守人の言葉の辿りが能の「ワキ」の旅の態度に匹敵するものならば、

この「原流の安心」に重ねて舞い落ち、舞い上がることのできる我ら円坐守人衆、縁坐影舞衆の返し唄は、

影舞円坐和讃とこの六文字しかありませぬ。





君は舞台の 年の暮れ 

 原流の安心と 申す也



あなたがわたしの還る空

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 





   合掌。  



盆暮円坐2018東京 守人の一  橋本久仁彦




みなさま

 

 

年の瀬も間近となってまいりました。

いかがお過ごしでしょうか。

 

 

昨年初めて東京武蔵関のお家に、

盆暮円坐の開催のためおとずれました。

 

師走の東京の町はとてもしずかでした。

 

武蔵関の家に到着すると、

戸高元太郎さんが、

屋根に上って、

円坐をひらく二階の和室の窓ガラスを、

無心に磨いておられました。

 

のりちゃんとわたしと、

げんちゃん(戸高氏)の三人で、

その和室で顔合わせをしたときも、

その窓は、透き通っていましたし、

円坐の時間になり、

和室いっぱいに充満する熱気で窓は曇ってしまうかと思いきや、

その窓からみえる外の景色は、

ガラスが無いくらい透き通っていて、

静かな武蔵関の景色が、

ご参集くださった方々の懐かしい面影とあいまって風景となり、

年の暮れの武蔵関に我々がいた証となって、

いまでも思い出されます。

 

 

・・・

 

 

今年の盆暮円坐は、

七月に還暦を迎えた橋本久仁彦さんをお招きいたしまして東京へ参ります。

 

自分も他者も、

ありとあらゆるすべてのものは、

生滅変化する仮のすがた(姿)と申しますが、

その奥にある実のすがた(相)とは、いかなる位相なのでしょう・

 

沖縄の古い言葉に「くうなかなさ」という言葉があります。

 

先日、生駒石切影舞未二観で、

千葉の方と影舞をご一緒させていただいたとき、

「かなしくーてーかなしくて~」という歌詞が微細な振動となって響きわたり、

わたしをまるごとすっぽり包み込んでしまう大きな空間が広がっていました。

 

とうとう、

「わたしが包まれていた」

と、思っていたその空間が、

相手の方をも包み込み、

彼が、包まれていたわたし自身だったのか、

わたしが、包まれていた彼自身だったのか、

わからなくなって、

ふたりを分けて観れなくなり、

ひとつになって、

その大きな大きな空間の懐に抱かれ、

隅々まですーっと遍在していました。

 

これは、

母というのか、

遍く森羅万象の源といえる、

胎内の世界のようでもあり、

故郷の原風景というと妙にしっくりなじみます。

 

産まれる前の胎内世界の記憶は、

自他の区別が出来てしまうと、

いったん忘れてしまいますが、

産まれる前からいのちはずっとあって、

おおきな流れをたゆたいながら、

この世にうまれてきます。

 

いのちは、自分ひとりで、

生じることはできません。

 

人と人の間、人と事の間、人と物の間に、生まれてきます。

 

 

そして、人生を旅して、一生を終え、

また大きな風景へと還っていきます。 

 

 

今年いっぱいで、

このお家も、住み終いとなるそうです。

 

平成30年の歳の暮れ。

 

ことほぎ参る細道を、

皆様とご一緒できればと願っております。

 

 

 ・・・

 

 

 東京武蔵関のお家へ、

 ご縁ある皆様のご参集、心よりお待ち申し上げます。

 

 

 君は舞台の年の暮れ 

 原流の安心と申す也

 あなかしこ

 

 

 くぅ 松岡弘子

                                 

 

 

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◆ 日 時: 2018 1219() 19:0022:00

       2018 1220() 10:0016:00

 

◆ 場 所 : 東京都武蔵関の民家

 

◇ 1日目守人: 橋本久仁彦 松岡弘子

 

◇ 2日目守人: くにちゃん のりこ くぅ

 

◇ 参加費: 1日目のみ参加  5,000

       2日目のみ参加 10,000

       両日通し参加  13,000

 

◇ お申込: soumon.enza@gmail.com 松岡まで