西国街道沿いの摂津国箕面の、
萱野重實の旧邸におきまして、
「後生の寺子屋 円坐茶堂」初会を、開催いたします。


以下ご案内と開催要項となっております。

ご縁をお待ちしております。


くぅ 松岡弘子



~~~~~~~~~~~~~~~~


 

高知の田舎には、村を通る旧街道沿いに、「茶堂」という畳三畳か四畳程の広さの小さなお堂がある。

国境を越えて来る旅人を、土地の者がこの茶堂で歓待し、円坐のような交流の時間を持っていたそうだ。

お互いに出来事や生活を伝え合い、人柄を知り合っていくその相(すがた)に縁坐舞台を重ねて、円坐(縁坐)茶堂と呼んでみたい。

 

「後生の寺子屋」とは、時間と空間の境界に置かれた円坐茶堂の中で行われる円坐と縁坐舞台のことである。

堂内の様式は、左右に影舞、正面に未二観の時空が置かれ、参入者は水中メガネで海の中を見るように、

波の形に惑わされず、自分の姿(素型)や自分自身の底を見る。

15分間の未二観と同じく、「自分の生死の間」という限られた時間にどう応え、どう生きているのか、

いわば人生という「15分間」に対する応答として、自分が今している生き方が、裸の事実としてはっきり見える。

この立ち位置が「後生」であり、後生とはすなわち、一度自分を手放して死ぬことである。

 

この後生の寺子屋円坐茶堂は、余命を自覚し、魂が発火した切実な旅人にとっては慈悲の学び舎となり、

自分の後生を言祝ぎ、縁起の茶を一服する甘露の茶堂となる。

茶を一服するのも生死の間であり、その刹那、円坐茶堂に自分を「分けて」判断する分別心はない。

「ポジティブ」というものはなく、ゆえに「ネガティブ」もない。「構成」も「非構成」もなく、「共感する」も「尊重する」もない。

ただ円坐と影舞が未二観に融けた土佐の古い茶堂があるのみ。

 

こうして円坐茶堂は路傍の古い茶堂に立ち戻り、何の変哲もない小さな朽ちたお堂としてそこにあるが、

同時に否定肯定の妄分別を離れ、時間を滅し、ゆえに生死を越えて、ただ「空」を背景としてひとり立つ茶堂である。

 

こちらから目指せば「円坐茶堂」、向こうから振り返れば「円空茶堂」であり、

円坐茶堂に坐る坐衆は、同時に空に坐ってすべてが終わっている「縁起の坐衆」である。

 

我々がこの生死の間に学び、知るべき「魂の尊厳」という真実の風景は、旅の目的地ではなく道中の、

田舎の村のありふれた小さな古い茶堂として、晴れてこの地上世界に現れる。

 

こうしてこの小さな不自由な私も、小さな不自由な私のまま天地の間にひとり立ち、照らされ、往還する。

 

 

 

茶堂ゆかりの龍馬、法然、弘法大師、阿波のいざなぎ、いざなみと、茶堂守人同行二人 名残りの一坐の道行は 辿りの道の往き還り 

わたしの里(くに)へと戻る道 あなたの空へと還る道。

    

 

円坐とは ただ素直なり 山の青

 

 

              後生の寺子屋円坐茶堂 守人 橋本久仁彦



・・・



 西国街道。
この街道は江戸時代、
東海道など五街道が整備される中、
その道幅を二間半の脇往還として、
東寺の羅城門から下関赤間関まで通じていました。
  
さて、
西国街道沿いは摂津国箕面に、
萱野三平重實の旧邸がございます。
 
萱野三平重實は大石内蔵助に、
四十八人目の赤穂浪士と呼ばれた侍です。
 
萱野三平重實 辞世の句。
 
 晴れゆくや 日ごろこころの 花くもり
 
仇討した四十七人の赤穂浪士リーダー、
大石内蔵助の辞世の句は以下の通りです。
 
 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
 
この句は橋本久仁彦さんの「きくみるはなす縁坐村塾」
壱弐番稽古に添えられた辞世の句でありました。
その大石内蔵助には、別の辞世の句があります。
 
 極楽の 道はひとすじ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人
 
萱野重實は、
二十七歳の若さで
ともに果たせぬ罪を詫び、
同志の奮起を祈る遺書を大石に送り、
自邸の長屋門の一室にて切腹しました。
自刃した年の暮れに討入は果たされました。
萱野三平重實は同志の先花となり後生ともにしました。

『仮名手本忠臣蔵』では早野勘平として描かれ、
後世までひろく語り継がれることとなりました。
 
 
そして、
大阪、水俣、高槻にて、
橋本久仁彦さんと上演いたしました、
影舞「苦海浄土」の作品の音源について。
 
橋本久仁彦さんが何度も試行錯誤を重ね、
とても丁寧に作られた、影舞の音源です。
後生の桜影舞がずっと深くふるえています。

その一節、
石牟礼道子さんの『苦海浄土』の言葉です。
 
「花びらば、かなわぬ手で、拾いますとでございます。いつまででも坐って。指先でこう拾いますけれども、ふるえの止まん、曲がった指になっとりますから、地面ににじりつけて。桜の花びらの、くちゃくちゃにもみしだかれて、花もあなたかわいそうに。」
 
と。

 
   このような風景から「後生の寺子屋」と命名いたしました。 


〜 魂の尊厳 後生のことほぎ と題しまして、 
「後生の寺子屋」初会を西国街道沿いの萱野三平旧邸で開催させていただきます。
 
 
いつか、この島国の島々をめぐり巡り、
八十島の八景を影舞い先々で小屋掛し、
ともに學び 手合わせし、
ともに舞台に立ち、
ふるさと(くに)に還るその日まで、
生きていきたい、と、願っています。
  
真夏の西国街道沿いの摂津国箕面にて、
初会「後生の寺子屋」開催いたします。
ご縁をお待ちしております。 


 
後生の寺子屋円坐茶堂 守人 松岡弘子



 

 < 「後生の寺子屋 円坐茶堂」初会 ~ 魂の尊厳と後生のことほぎ 開催要項 >
 
日時 : 令和元年 7月31日 (水) 11時〜16時
場所 : 萱野三平旧邸 涓泉亭
守人 : 橋本久仁彦 松岡弘子
申込 : soumon.enza@gmail.com 松岡
謝費 : 八千円
募集 : 八名

 

  〜 萱野三平重實について 〜
 
茅野重實は、
大石内蔵助に四十八人目の赤穂浪士と呼ばれた侍です。 
 
13歳で赤穂藩主浅野内匠頭に仕え、
浅野が江戸城下松の大廊下で吉良上野介を刃傷した際には、
その知らせを持って駕籠に乗り込み
赤穂まで、たった5日で走破します。
 
赤穂城開城後は浪人となり、
西国街道沿いの故郷に戻り、
忠と孝の間で板挟みになり、
父と大石内蔵助に遺書を二通残して、
年の暮れの討入に先だち正月十四日、
浅野内匠頭の月命日に切腹。

赤穂浪士、四十七士の先花となる。