皆様へ。
友に西田幾多郎氏の本を差し上げました。
すると以下の文言を抜き出してご感想をくださいました。
『現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。』
『現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。
しかし物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、
物というものがなくなって行くことでなければならない。』
『故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。』
「影舞・未二観・円坐・縁坐舞台ならば、
絶対矛盾的自己同一は、
この世と彼の世の消息的相聞(対話)でしょうか・・」
哲学者の言葉ですから難しい言葉だと言えるのですが、影舞や未二観の稽古の中で圧を高めて読むと、
親しく身に覚えのある、腑に落ちる表現に変わります。
言葉は二度生まれるのですね。
一度目は知的に、平面的に見える言葉として現れます。
同じ言葉が二度目には、この世の現実よりもリアルに、奥行きを伴って、「出て」来ます。
知的にしか出会えなかった言葉に「身」が伴うのです。
それは知的な記号としてのコトバの読み手だった我々が、
身体的な詩(ウタ)としての言葉の「詠み手」に生まれ変わることでもあります。
円坐や未二観の道行きの中で、これらの言葉がスルスルと景色になってきて面白く思います。
しかしそうでなければこの道を往く甲斐もありません。
西田幾多郎は「彼の世」の人ですが、今もその言葉に息づく彼の「消息」は、この世の日常のコトバよりも、
はるかに実在感を伴って届いて来るのです。
相聞とは思い合い、乞い合うことですが、彼此に絶対的に別れた者同士の 「矛盾的恋の成就」 でもあるのだと思います。
この彼此の恋は絶対実らない。不可能である。だからこそ、「もうすでに実っている」 と言える確かな文法があります。
昨日ある人の消息を辿りながらふと、未二観に基づく 「未二カウンセリング」 があってもいいなと思いました。
以前行っていた人間中心主義のカウンセリングでは、「自己一致」や「自己肯定」を目標として掲げていましたが、
未二カウンセリングでは、「自己が自己に背いてこそ自己」と掲げます。
春のお彼岸円坐(彼岸タクシー)をご案内いたします。
未二カウンセラー・彼岸タクシー乗務員 橋本久仁彦
皆様
こんばんは。
令和最初の春の彼岸に、
「春のお彼岸円坐」を開催いたします。
日頃心の友の書簡を持ち歩いています。
手紙を書簡と言ったり消息と言ったりしますが、
ふと、万葉集の相聞歌みたいだなと思いました。
そのお便りのなかには、
<<この世>> と <<彼の世>>について、
そしてこれらの二つの世の『境界』について、
吟味を重ねに重ねた素晴らしい図があります。
消えざるものはただ誠のみ、と申しますが、
この友の冴え渡る野生の智慧深い「識」は、
<<彼の世>> にいこうと消えないと思います。
<<この世>>と<<彼の世>>の『境界』は、
「華」であり「様」であり「無垢」であり、
・時間の薄くなった空間性
・生き返りのときであり目覚めのときである、
と、潔活に書かれており、
※ 往来 往復 往還することは、すなわち、
より深く豊かな人生への期待ではなかろうか?
という考察で、最後はしめくくられています。
昨年はしもとさんと箕面萱野でひらきました、
その円坐茶堂の如く、
見事な友の誠眼に私の眼は見開くばかりです。
さて、
この世と彼の世を見渡す境界にこの身を置く、
彼の世界の反映なるところの舞台、彼岸円坐。
まさに虚構の世界と実質の世界の境界であり、
それは、まさしく縁坐舞台の位相です。
お気持ちがある方はどうぞご一緒に、
地元高槻安岡寺町名物巻き浪漫を携えた彼岸タクシー「オデッセイ」にご乗車下さい。
目的地は未定。
お彼岸円坐は、基本ミステリーツアーです。
ちなみに、
昨年のお彼岸は高槻駅のある白梅町を出発し、
一行雨のふる中かぐやおとくにの洛西界隈へ、
柳谷観音、光明寺、菜花畑、角宮神社、竹林など
気の向くまま、一期一会の彼岸旅をしました。
ではこの身このままでどうぞお越し下さい。
この春の彼岸のご縁、
心よりお待ち申しております。
春のお彼岸円坐 守人 松岡弘子
<< 春のお彼岸円坐 開催要項 >>
◇ 日時 令和2年3月19日 (木) 10時〜19時
◇ 集合JR高槻駅
◇ 解散JR桂川駅
◇ 参加費 一万円
◇ 募集人員 4人 (現在 残3席です)
◇ 守人 橋本久仁彦さん・松岡弘子
◇ 主に道中車での移動となります。
◇ お昼は軽食をご用意いたします。
◇ お申込み・問合せ <mailto:soumon.enza@gmail.com> soumon.enza@gmail.com 松岡まで

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