来週から事始めです。
高槻の浦堂きららでの「相聞茶堂」。

来月からはご案内もさせていただきます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

すこし以前になりますが、
梶原での未二観「相聞の杜」の時は、
裏の畑山神社の鳥の声や木々の葉音、
時おり雨の音が鳴り響いていました。

浦堂での「相聞茶堂」未二観は、
近くには神服神社も御坐います。
表通りは服部バス停、
裏は清水小学校です。

安岡寺や真上からも近い地元開催となります。
川浪さんと橋本さんへのご挨拶のお便りです。

・・・

「未二観、是非、高槻でやりませんか」

川浪スヱ子さんのこの言葉からこの三人の顔合わせが実現しこの世に成立しました。

会の命名も含め、松岡さんの言葉で語り起こしてください、との宿題をいただき、ようやく言葉になって参りました。

あらためまして御礼とご挨拶申し上げます。

会の名は「相聞茶堂」と申します。
いかがでしょうか。

以前、橋本さんと共に、
箕面市内の萱野三平旧邸におきまして、
「円坐茶堂」という場の初回をひらきました。

このたび、
高槻市は服部「浦堂」にて、
「相聞茶堂」と名をあらためまして、
本格的に事始めをして参りたいと思っています。

「相聞」とは、カウンセリングやコーチング、セラピーではありません。知識による人から人への受け渡し教育でもありません。誰もが乞い乞われる万葉集の相聞歌のような魂の呼応です。

「茶堂」とは、日本の喫茶店のルーツです。四国の各地の村境にある小屋のことで、生活をする中で世代を問わず語り合ったり、旅人をお接待する憩いの場であったり、四国の各所には数多く残っています。

その「茶堂」を場所として、そこから呼び覚まされる生活の言葉、それらの智慧による願われた言葉が、我々に生まれる瞬間、生活に深く根ざした思議することあるべからず世界へと道がひらける、そんな、ちいさなわたしを通じて世界の歴史全体を包み込むような空間が、この世にひとつあればいいなあとおもます。

歴史を越える心にふれるには、人に出会っていくことでしか始まらないのでしょうか?

いまだ私にはよくわかりませんが・・・

人の語る言葉を聞くということが、たとえ発語がなくとも、聞こえてくる言葉をそのまま聞くということが、ほとんど無くなりつつある現代だからこそ、語りの言葉には、他者への敬意と土地への誇りも、同時に不可欠だと痛感しています。

わたしたちはこれまで長い歴史の中で、いのちの事を生命とは呼ばず、寿命と呼んで参りました。

寿というものをいただいて命そのまま生きているわけですが、現代の我々は、個人の生命を私有化してしまい大変苦しんでいます。

寿命とは一体なんだろうかと思うのです。

生活に根ざした、向こうからの呼び声のような、魂の言葉のような、寿命とはそんな願いのようか気がしてなりません。

そこで「相聞茶堂」という、見えない小屋の棟を上げ、その土地の舞台となり、皆様と共に、この現代でいう「お接待」の形を試みてみたいと思います。

同時に、この願いというものはいつの世にも願われてきた呼び声でもあるという気がしています。

ゆくゆくはご縁ある方にもお越しいただいて、ご近所の方々にもお立ち寄りいただけるよう、川浪さんと橋本さんと共に、松岡も三名で鼎となって相聞茶堂を棟上げしてゆけたらと思っております。

至らない自分ではありますが、
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

相聞茶堂 守人 松岡弘子

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