片山健太さん主催 長崎相聞円坐 HPへ
【 最終締切は 1月21日(水)21時です。 】
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橋本久仁彦さんからの最終のご案内文です
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皆様へ。
長崎での新春相聞円坐はお陰様で、成立の運びになりました。
ありがとうございました。
まだ残席はありますので、お気持ちのある方は、
お気軽にお問い合わせくださいませ。
以下雑感です。
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ところで。
相聞円坐の守人として、僕は何をするのか。
ファシリテーターとして一体何を行っているのか。
人々の言葉を僕が聞くとき、そこで、何が起こるのか。
あるいは、「聞く人」に聞かれた「言葉」や、聞かれた「人」はその瞬間どうなるのか。
言葉を「ありのまま聞く」とは、現象を「そのまま観察する」という態度と同じなのか。
量子物理学では、観察する者がそこにいるだけで、「何もしなくても」
物質の最小の形である光の粒子(フォトン)の姿形が変わってしまう
ということが確認された。
聞き手の視力(聴力)が言葉の姿をそのまま見る(聞く)ことができるなら
その言葉を発したその人は、存在の仕方(姿形)を変えるのか。
あるいはおのずと変わるのか。
僕はこれまでの体験から、言葉も変わるし、その人も変わると思っている。
では、それはなぜなのか?
ただ見たり聞いたりしているだけではダメだ、行動しなければ意味がない。
そう教わったし、そう信じて生きてきたつもりだった。
体験と頭の認識に矛盾が生じている。
体験を大事にして考え直してみると。
今まで見ていると思っていたのは、実は見ていなかったのか。
聞いていると思っていたのは、聞いていなかったのか。
すると。
僕は今まで見ても聞いてもいなかったことになる。
うん、何だかスッキリするような納得感がある。
では、次の問いは。
僕は長年にワタって一体何を見、何を聞いてきたのか?
いつも僕が見ている、僕が聞いている、僕が感じている、僕が踊っている
という自覚には自信があったし、いつも「僕のために」学び、「僕に必要な」
たくさんのワークショップにも出てきた。
見たり聞いたりしているつもりだったのは、実は「その時の」目の前の対象ではなく、
「いつも」「僕が」「僕の」「僕に」だったのか。
だから自分は「個」であって、「いつも」自分が「ある」と信じたのか。
あるいは自分が「ある」と信じたくてそうしたのか。
でも本屋へ行けばたくさんの本が「自分自身」を大事にして
「自分」を実現するようにと普通に言ってる。
言いなりに信じるわけにはもういかない。
さて、では皆があると思って疑わない「自分」とは一体何のことだ?
僕の混乱と謎は深まります。
その探求のために、僕の身体の一部となっている「場」がある。
それが、
相聞円坐(エンカウンターグループ)であり、
相聞対坐(ミニカウンセリング・傾聴空間建築)であり、
きくみるはなす縁坐舞台(エンザ・シンクロナイズド・シアター)
(英語名無いので勝手に命名)などと名前を付けて標識にしている
それぞれ一回限りのライブな場である。
(PC画面に向かって言葉で名前を付けて「である」って言うと、
楽しいうそっぽさが漂いますが)
このライブな場で体験と認識が一致し、その一致感を踏まえて
またより大きな、深い矛盾に直面する。
直面し、立ち止まり、考えては、実験する。
いつの間にか同好の仲間ができて、一緒に考えては実験する。
(最近僕はこのような場を「祭り(祀り)」って呼んでいる。)
こうして一致感と矛盾感が交互に大きく深く広がっていく。
これが楽しい。
この楽しさを味わえる場を設定することが、現在の僕の「仕事」だと思う。
そんな「場」を作ろうとするとき、観察者(聞者)としての僕の「在り方」が
そのまま道具になる。(道具って道が具体的になるって意味ですね)
聞いている僕の姿形がそのまま場となっていく。
聞いている人々の態度物腰がそのまま場となっていく。
なった(成った・鳴った)場が今度はそのまま僕らの姿形になっていく。
このなっていく姿(素型)の移ろい、往来、響き合いを「相聞」と名付ける。
これはある望ましい結果を再生産するための技術(メソッド)ではない。
相聞場の中では技術を使う「者」がいないから。
しかし念のために問う。
聞者(ファシリテーター)としての僕が、技術(意図)を使って相聞場を作り出しているのか。
あるいは、相聞場が、聞者の僕の意図とは関係なく、「ただ聞くだけ」で、
向こうから勝手にアラハレて来るという現象なのか。
ただ「そのまま聞く」ことで相聞場がアラハレル(アラ、晴れる)。
ああ、また謎が深まる。思い付きも困ったもんだ。。
人の言葉や生き様が響き逢う相聞の場がアラハレルような
「そのまま聞く」という在り方・態度がある。
そのまま聞く「こと」とは、そのまま聞く「人」のこと。
「そのまま聞いている」皆さんが、からだごとそのまま相聞場に「なっていく」という不思議。
だから、きくみるはなす縁坐舞台は、「きみは舞台」の折句を秘めている(偶然ですが)のです!
ちゃんちゃん^^/
すみません、話が長くなりました・・・。
では、長崎にて坐って参ります。(僕の住んでるのは「千代崎」ですが。)
相聞円坐 守人 橋本久仁彦
以下ご案内〜
橋本久仁彦さん、長崎上陸!
非構成エンカウンターグループWS
『長崎相聞円坐』開催
この度は、長崎に橋本久仁彦さんをお呼びして、
非構成エンカウンターグループのワークショップを「長崎相聞円坐」と称しまして
開催させていただきます。
高度経済成長を支えた炭坑の町、長崎市高島町。
有名な軍艦島(端島)がある町です。
1泊2日、寝食を共にしながら坐りたいと思います。
また、希望者のみ、もう一日時間を取りまして、
橋本さん達と一緒に長崎の街を巡りたいと思います。
長崎の文化に触れるのか、平和遺構をめぐり想いをはせるのか、
その内容は、希望者の方々と決めてまいりたいと思います。
【実施要項・お申し込み】
===天候などによりプログラムが変更になる可能性もございます、ご了承ください===
●講師:(円坐のファシリテーター):橋本久仁彦さん
●内容:セッション、懇親会など
●日時:2014年1月25(土)お昼から26(日)夕方まで1泊2日
●場所:長崎県長崎市高島町民宿うりずん
●集合:25日11:30長崎港フェリーターミナル1階(住所:長崎市元船町17番3号)
(11:50発にて出発)※高島町現地集合はご相談ください
●解散:26日高島港ターミナル17:10発の便にて出発(長崎帰着17時45分)
●食事:25日の昼、夜、26日の朝、昼の計4食。
●参加費30,000円(1泊2日のセッション代、食費、宿泊費含む)
※フェリー代(990円×2)、懇親会の飲み物(持ち寄り歓迎)などは各自実費負担
●募集対象円坐に興味のある健康な方10名程度(最低催行人数8名)
●オプショナルツアー『長崎巡り』1月27日(月)希望者のみ長崎市内にて、交通費等は実費。
※希望者のみ。宿泊等必要になります、お問い合わせ下さい。
●お申し込み・お問い合わせ(メールまたはHPから)(※メールは件名に『長崎円座』と記入)
申し込み記入内容:①氏名②年齢③電話番号④メールアドレス⑤オプショナルツアー参加・不参加
⑥その他何かありましたらお書きください。
●お申し込み締め切り:2014年1月14日(火)21時まで
ホームページ:http://nagasaki-enza.jimdo.com/
メール:nagasaki.enza@gmail.com
担当:片山健太
★運営協力スタッフThanks! 松岡弘子さん、シマカワコウヂさん
非構成エンカウンターグループについて
人生に出逢い、学びや成長を深めあう面白さ…
このワークショップは1950年代、アメリカの心理学者カール・ロジャースらによって
始められました。
それまで一対一で行われていたカウンセリングを少人数のグループで行ってみたと
いうのが始まりのようです。
治療を必要とする方のためのグループセラピーではなく、そこに集まるメンバー相互の
人生に出逢い、学びや成長を深める意味合いをもった面白い手法です。
輪になって坐る2日間
「非構成」である場の味わい深さ…
やることといえば、そこで出逢った人と2日間輪になって座るそれだけです。
そこで話す内容は何も決まっていません。
目的や展開など意図して構成されたものがないので、その場が生み出す出来事や自分の変化は、
とてもおもしろいと私は感じています。
自分が言葉を発せずとも、他者の言葉に耳を傾け、場を共有していることで、
自分の中の何かが動いていく感覚、場が動いていく感覚。
私、片山も、昨年体験しましたが、これは何ともいえないものでした。
人と人が一緒に『場』を設定して、そこに真摯に向き合うことでできる空間は実に
面白く味わい深いものです。
長崎、九州の方々にも、体験していただけたらと思ったところ、
今回橋本さんが快く引き受けていただき、開催させていただくことになりました。
よかったらぜひ一度、体感してみてください。
皆様にお会いできることを、楽しみにしております。
長崎相聞円座世話人:片山健太(けんちき)
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みなさま
長崎相聞円坐のご案内です。
今年の5月に開催しました泰阜円坐@だいらだらぼっちに、
長崎から参加くださいました、けんちき(片山健太さん)が主催します。
けんちきと、うちの娘は、長野の泰阜村で五年間、
仲間で山出しした薪を割り、五右衛門風呂や穴窯・登窯に薪をくべ、
畑を耕し、山に登り、はたらき、遊び、悩んで、同じ釜の飯を食べました。
この五年間という時間は、
まさに生きられる時間で誰にもコントロールできるものではなく、
必死だった分ある種の重さと存在が宿る時間であった気がします。
なのに一方で、
時間に追われたり、
時間が気になりだすと、
途端にその場所に居る感じが、薄れてしまいます・・
それは、いったいなぜなのでしょうか。
それはおそらく、
日常・非日常ということではなく、
「ひと」は「場所」=現場だからだとおもいます。
相聞円坐やきくみるはなす縁坐舞台では、
言葉やありとあらゆる音や声は多層な意味を持ち出し、
風景と面影に重なりやがては、重い磁場があらはれ始めるような気がします。
歳を重ねた私の母は今、写真に夢中です。
カメラやレンズの構造に精通している事よりも、
死に物狂いに、瞬間瞬間シャッターを切るほうが、
なぜか不思議と観る者を引き込むような、魂が宿る写真であるのですね。
さて!
長崎に於きまして、
炭坑の町高島町の地にて、
円坐守人:橋本久仁彦さんの長崎初、相聞円坐です。
橋本久仁彦さんは、
治療や気づきや癒しよりも、真剣なマツリゴトを通じて人生を言祝ぎ、
その場にいないヒトやモノやコトもあらはれるような聞く作法を以って、
ある種の磁場の結界をキープしている、相聞円坐の守人であるから、
やがて場はおのずと相聞円坐となって変化してゆくのだとおもいます。
それでは、新年の長崎相聞円坐よかったらご一緒しませんか。
こころより、お待ちしております。
松岡弘子
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橋本久仁彦さんプロフィール
1958年大阪市生まれ。大学卒業後は高校教師となり、「教えない授業」を10年間実践する。
その後アメリカやインドを遊学し、人間同士の情緒的なつながりや一体感とともに発展する
有機的な組織作りと、エネルギーの枯渇しない自発的で創造的なコミュニティの建設に
関心を持ち続けている。
平成2年より龍谷大学学生相談室カウンセラー。
様々な集団を対象とした非構成的エンカウンターグループを行う。
平成13年12月に龍谷大学を退職、プレイバックシアタープロデュースを立ち上げ、
プレイバックシアター、エンカウンターグループ(円坐)、サイコドラマ、ファミリー・コンステレーション、
コンテンポラリーダンスなど、フィールド(舞台)に生じる磁場を用いた欧米のアプローチの研究と
実践を積み重ねるも、このたび、10年間の活動を終え、その看板を下ろす。
現在は、日本の新しい口承即興舞踏劇「きくみるはなす縁坐舞台」を実践する旅の一座
「坐・フェンス」の座長として、その様式建築に注力し、きくみるはなす縁坐村塾も開講中。
橋本久仁彦オフィシャルサイトhttp://enzabutai.com/